当院の理念

なぜ私は、当クリニックを運営するのでしょうか?
そのわけは私が平成14年、東大第3内科(現循環器内科)の同窓会だよりに書いた短文を読んでいただければお分かりと思います。よろしくお願いします。

(えん) (昭和52年卒) 蔡 榮基

 小さい頃から、人は数千キロ離れている人となんだかんだの機会で出会うことが出来ます。逆に数メートルの近所に住んでいる人と一度もあったことがなかったりするのはなぜだろうか、と深く考えたことがありました。
 その後、仏教の経典で"天生万物、因縁而生、因縁而滅"を読みました。つまり、"世の中の物事は縁があるために存在し、出会う。一方、縁がなければ、物事が生じず、廃滅する。"とお釈迦様が説きました。日本でも"もしご縁があったら・・・・"の言い方があるのではないでしょうか。

 去年、私の父親は狭心症のため、台湾南部の大学病院で診てもらいました。6年前同じ症状があって、同じ大学病院で矢崎教授の同級生洪瑞松先生(東大昭和38年卒、2内出身)に診ていただき、狭窄した前下行枝冠動脈をPTCAで拡げてもらい、そのご縁で父親は6年間元気に過ごしました(日本にも数回来てくれた)。
 去年入院時、私は洪先生に加療していただこうと思いましたがちょうど台湾の前総統李登輝氏が心臓病治療のため日本の倉敷に来ていた時期で、日本語が堪能な洪先生は李前総統の主治医として一緒に来日されており、出来ませんでした。

 私は1回目PTCAの時、洪先生の助手だった(今は助教授)先生に検査を頼みました。私は故郷に帰りたかったが雇われの身のため出来ませんでした。
 検査終了当日の夜、私は国際電話で助教授先生に連絡しました。"左冠動脈の前下行枝が数ヶ所狭窄の為PTCAの適応じゃないが、始部70%狭窄の廻旋枝に stent を入れた。手技自体は順調だった。"という返事だったがその日の深夜、父親は激しい狭心症を起こしました。左冠動脈の血液がぐんぐんstentのはいった廻旋枝に流れ込んで、前下行枝が一層虚血状態になったわけでした。私は緊急帰国し、主治医らと対応策を検討したが、心不全を起こし、冠動脈バイパス手術が出来ない状態だった。

 もちろん飛行機で来日も不可能でした。父親は1か月くらいの闘病生活を終え、帰らぬ人になりました。私は悔しくて、悲しかった。もし今回も洪先生にやっていただければ先生の経験では前下行枝を放っといて、隣接の廻旋枝だけstentで拡げて、"冠動脈盗血現象"を許すことは決してしません。
 医者は単なる手技ではなく、病気全体に対して把握する独特の"センス"が絶対必要です。それにより、結果が絶対違ってくると信じています。タイミングが悪かったというより、父親は2度目洪先生に治療していただくご縁がなかったのだと思います。ご縁がなかったため運命につながったと言っても決してオーバではありません。

 東大を離れて10年余りたちました。在籍8年間にご縁があり、小坂先生、高久先生、矢崎先生3人教授の時代を経歴し、諸多先輩、同僚に大変お世話になって、色々と教えていただきました。当時一緒に深夜まで研究室に閉じこもっていた先生たちは現在それぞれ各大学の教授に栄転されました。今の永井教授は当時アメリカ留学から帰国されたばかり、一緒に仕事をさせていただいていました。
 その当時私は一つの論文をまとめて国際ビジネス便でアメリカに出そうとしたが、本郷郵便局が業務終了のため翌朝まで待とうと思ったところ、永井先生は"1秒でも争う時代に待ったら負け"とマイカーで私を大手町郵便本局まで送って下さいました。深夜の2時すぎでした。

 永井教授とのこのご縁は今でも心より感謝しています。先生の「1秒でも争う」精神は今日東大循環器内科の日々発展につながる原動力だと思います。
 私は今年3月、勤務医をやめ、2階建て、100坪弱のクリニックを開設しました。事務、ナース、リハビリ助手を合わせて10人前後の職員がおります。勤務医時代の患者様も結構来てくれました。
 私が院内に掲示した当院の理念は"縁"の一文字です。自分はご縁のある人としか出会えない、自分とご縁のある人しか来てくれないと思います。これからも3内時代の各先生、患者様、職員達、および色々な人々とのご縁を大事にしたいと思いますのでよろしくお願い致します。

(追伸)その後、永井教授は東大循環器内科を益々発展させ、2012年天皇陛下の主治医になられました。
 陛下の冠動脈手術に最善を尽くし、優れた結果を挙げられました。
 2014年より、自治医大の学長に御就任なさいました。
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